雨はずっと降り続いている

日記と備忘録。

目の前にいつもあるのは大量の精神薬

 

突然重い話をする。

希死念慮を持ちながら生きる勇気はあるか?

 

毎日、生活を送りながら、

「死んでしまいたい」という気持ちも持ち続ける。

 

思えば私は、10年以上、希死念慮を持ち続けながら生きている。

 

初めて「いつか死んでしまうんだな」と思ったのは、15歳の時だ。目の前には、町を飲み込む津波があった。自分が生きている、という実感が湧かなかった。

 

16〜18歳は「私なんて死んだほうが良いのではないか」と思いながら生きた。震災のPTSDとおそらくそこで発症していたパニック障害。辛かった、家族にも迷惑をかけた。でも、寝ても毎日朝が来て、泣きながら学校に行った。この辛さがいつ終わるのか分からなくて消えたくなっていた。

 

大学生の頃、不安障害を発症した。

毎日寝るのが怖かった。朝起きたら病気になっているかもしれない。死んでいるかもしれない。だったらいっそのこと、寝る前に死にたい。目の前には、たくさんの精神薬があった。私の心の支えは、「いつでもこの薬たちで死ぬことができる」ということだけだった。

一度も死のうとしたことはなかった。

 

23歳の頃、結婚の話まで出ていた彼氏にふられた。その人と穏やかな家庭を築くだろうと思って疑わなかった私は、全ての日常が崩れた。と同時に仕事も忙しくなった。緩やかに死のうとしていた。一日中、水も飲まず、何も食べず、電気もつけず、仕事も行かず。でも、緩やかに死ぬことはしんどかった。結果的に、薬が増えて、実家に戻ってきた。その時の心の支えは、「私が死んでも家族の誰かが見つけてくれる」だった。

 

24歳の頃、私は1番ぐちゃぐちゃだった。

仕事も大変だった。好きな人にもふられた。言えないようなしんどいこともあった。私の目の前には、やはり大量の精神薬があった。そして、貯金を全くしていなかった。いつ死んでも良いという覚悟だった。大量の精神薬を、毎日きちんと分量を守りながら飲んで、「私はいつでも死ねるからね」と。言い聞かせながら生きた。

 

25歳の今。コロナウイルスが流行り、家族や大好きな人たちにもなかなか会えなくなった。私は、死が近づいてる気がしている。ずっと、一定の距離を保っていた「死」。それが隣り合わせになってきたのだ。

 

 

私と希死念慮はいつになったら離れるのだろう。私には希死念慮はあるが、死ぬ勇気はない。「消えたい消えたい」と思い続けながらも、これから生きていく。

 

もしかしたらいつか、私にも「生きていこう」と思うことがあるかもしれない。それがいつかわからない。

いつか「生きよう」と思うために生きている。

 

別に生きたいわけではないけど、最近「家を買いたい」という夢ができた。貯金をするための本を買った。安全運転になった。毎日湯船に浸かるようになった。長く使える上質なものを少し買うようになった。いらないものは捨てた。

 

今日もまた目の前には大量の精神薬がある。

金曜日は通院日だから、また増える。

今はそれだけが心の支え。

 

 

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