雨はずっと降り続いている

日記と備忘録。

理解してほしいのではなくて受け入れて欲しかった

 

私には、婚約寸前までいった彼氏がいた。

 

大学4年で付き合った時、

「4年で付き合ったってことは、考えてる」

「2年目まで頑張って、3年目で結婚かなあ」

と言われた。

 

私がいくら奨学金を借りているか話をしたり、お互い親に会わせたり、私たちは着々と未来について進めていた。

 

結局「元彼」ということになるのだけれど。

別れた理由をずっと、「すれ違った」と言って、多くは語らなかったけれど、初めて、思い出してみようと思う。

 

 

私は、不安障害を治療している。

私の症状の中でも強いのは

①広場恐怖

②疾病恐怖

③会食恐怖

である。そして、

対象喪失をなかなか乗り越えられない

のである。

 

①〜④を簡単に説明すると、

 

①長距離バスなど逃げられない空間や、人の多いところが怖い

②病気になるのが怖い、病気になるとすぐ「死」を考えてしまう

③外食や人とご飯を食べるのが苦手

④大切な人(ペットも)を失った悲しみを乗り越えられない

 

といったところだ。確か。

1番強かったのが、②の症状で、これは薬によって不安を抑えている。

ちなみに不安が強くて眠れないので、

①クエチアピン(セロクエル

②ロプラゼプ酸エチル(メイラックス

を処方してもらい、服薬している。

 

(かっこで囲んである名前のほうがわかりやすいと思う。どんな薬かは省略する。)

 

 

自分の症状、飲んでいる薬などを細かく説明した上で、私は付き合っていた。

彼も「それでも良い」と言ってくれていた。

 

付き合って少し経った頃、

「その病気って、いつ治る?」

と聞かれたことがある。

 

「生活習慣を整えて、自分の苦手だったことを少しずつ乗り越えていけば、症状は和らぐと思う。でも、「いつ治る」とは言い切れない。」

 

そう答えた。

 

「治す気は、あるんだよね?」

 

とも聞かれた。こんな病気、ないほうが良いに決まってる。治す気しかなかった。でも、風邪ではないから、聞かれたことにかなり困った記憶がある。

 

優しくて強い人だった。

優しく接してもらううちに、私は①②の症状がかなり改善し、2人で渋滞した道路を通ってディズニーランドまで行くことができたし、性格も丸くなった。

 

③の症状については、

「大丈夫。残しても食べるから。」

と言ってくれたので、安心して外食できるようになった。会食恐怖だからと言って、外食を避けることはしなかった。克服にかなり協力してくれた。

 

 

とにかく、私は彼と付き合っていた1年間で、症状がかなり改善し、性格まで優しくなった。自分で言うのもなんだけど。

付き合っている間、パニック症状を見せることはなかった。

 

大学時代のように会えなくなっても、週末ただ1日会える日に一緒に食事したり、教材研究したり楽しい時間を過ごした。

 

中学校教員1年目から担任や正顧問を持たせてもらっている彼は張り切っていたし、私も応援していた。一方私も、小2の担任として、奮闘していた。お互い切磋琢磨して、なかなかに良いカップルだったと思う!

 

付き合って1年、働き始めて2ヶ月が経つ頃、

私は体調を崩し始めた。もちろん学校には行っていたし、彼にも言わなかった。頑張っている彼に心配をかけたくなかったし、体調不良も一時的なものだと思っていた。

 

 

今でも忘れられない。6月のことだ。

定期的に通院している病院は、彼の家の近くにあった。向かっている最中のことだ。

 

ドクッドクッ

 

と、心臓が動いた。

 

手汗が出てきた。

 

呼吸が浅くなった。

 

夏なのに、足先が冷たくなってきた。

 

 

パニックを起こした。

 

過呼吸で、病院から1時間近くかかる自分の家に戻るのは危ない。

彼と、彼の母親に連絡して、彼の家で休ませてもらった。

 

会う予定ではなかったので、彼は忙しそうに自室にこもっていた。私は、彼のお母さんと、妹とリビングで話していた。

そこで初めて、仕事が辛い。

と、打ち明けた。

 

彼のお母さんは、たくさん話を聞いてくれた。彼の妹は、可愛いぬいぐるみを貸してくれた。

(今思えば、迷惑だったと思う。)

「お兄ちゃん(彼のこと)にも、辛いこと話したら?それとも、言えない?」

と彼のお母さんに聞かれた。

 

そういえば、過呼吸になっているところや、辛くなっているところを見せたことがなかった。

 

私のこと、少しでもわかってもらえる機会になると思って、私は彼の部屋へ向かった。手足の冷えと、手汗はおさまってなかった。

 

「辛いってこともわかったけど、突然来てお母さんも困るだろうから、そろそろ帰ろうよ。」

 

彼から言われた言葉は残酷だった。

 

 

「わかった。ごめんなさい。帰るね。」

 

 

私はそのまま、手足が冷たくて、呼吸が浅いまま、なんとか家に帰った。

運転中、涙が出てきた。

私の心はかなり単純らしい。泣いている時は、パニックがおさまっていた。

拭いても拭いても涙が出てきた。

 

家に着く頃、彼から、

「無事に着いた?」

と連絡が入っていた。

 

私は、まだまだ症状がおさまらなかったけど、何か返信して、既読になった。

 

 

 

それから何を送っても返信はなかった。

 

 

 

そこからは早かった。

私は学校でパニックを起こし、すぐに病休。何を言っても返信がなかった彼には告げずに地元に帰省した。

 

 

帰省したことを連絡すると、

『電話してもいい?』

と連絡が来た。

 

そこで私たちは別れることになった。

 

先週までとても仲が良かったのに。

未来の話もたくさんしたのに。

 

彼のことを責めるつもりはない。

別れたということは、縁がなかったのだ。今ならそう言える。

 

 

 

彼は私の病気を理解しようとしてくれていた。

どうにか治らないか、いろいろ試してくれた。

きっと、なかなか治らない私に対して不安だった。

 

 

私は優しさで、自分の病気の症状が落ち着くことを知った。彼が優しくしてくれたように、人にも優しくしようと思えた。

 

 

彼が私の病気を理解してくれようとしたことで、私は確かにたくさん救われたし、私自身が成長できた。

 

 

 

それでも、

彼が、不安障害の私を受け入れてくれたなら。

症状を見ても変わらず接してくれていたなら。

そのままの私を好きと言ってくれたなら、

私は病気があるままの私を愛せたかもしれない。

 

私は未だに、不安障害がある私を、

受け入れられていない。

 

 

 

 

 

 

p.s. 教員になろう、と誘ってくれた彼は、自分のステップアップのために教員をやめる。一方、別れてからの私は、仕事についてさらに勉強を始めた。

彼が、あの時私を誘ってくれなかったら、私はこんなに熱中する仕事に就けなかっただろう。

ある意味、彼は運命の人だった。そう思う。

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